千砂子波止と高燈籠
ここからの月がきれい!
江戸時代後期に芸州藩(広島藩)により築かれた防波堤と、高燈籠。
波止の先端にある高燈籠は、平成3年の台風19号で流された灯台に代わって建てられたもので、
手前にある高燈籠が、江戸時代に建てられたものです。
鞆の浦にある高燈籠と似ているので、よく間違えられます。
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乙女座
昭和に入ってから、劇場として建てられ、映画館として利用されていました。
客席は椅子ではなく、畳に座って鑑賞するようになっていて、小さいけれど花道もあり、 レトロな感じが素敵な建物です。入館料がちょっとだけ(一般200円)必要です。 時々、映画やコンサートもやってますよ。
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御手洗港への小路
酒問屋だった北川家(屋号は「北仁」)の蔵をアートスペースに改装した「アートラボキタニ」がある小路です。 御手洗港が小路の先に見えるので、とても海町らしい雰囲気です。 御手洗には、こんな小路がたくさんあるので、散策におすすめ。 -
歴史の見える丘公園からの眺め
御手洗の展望台
御手洗が重要伝統的建造物群に指定されたときに建てられた公園です。 公園のふもとに駐車場がありますので、足腰に自信のない方でもOK。広島方面だけでなく、四国の山々も一望できます。 ここからの眺めは必見です。 15分ほどで、ふるさと学園から遊歩道をとおって登ることもできます。こちらは階段が結構あります。 -
天満神社
ここの井戸水で菅原道真が手を洗ったという伝承があり、御手洗(みたらい)の町の名前の由来とも言われています。 この井戸水で墨をすって書初めをすると字が上手になるという言い伝えもあり、手水舎は筆と硯の形になっています。 日本人で始めて自転車による世界一周旅行をした「中村春吉」さんの記念碑もあります。 神社の奥には、通ると願いがかなう「可能門」もありますので、ぜひくぐって帰ってください。でも、願い事はひとつだけですよ。 - 常盤通り
おすすめ!
江戸時代の町並みが残る美しい通りです。 TVのコマーシャルや映画のロケにもたくさん登場します。 重伝建を考える会のさくら部の皆さんが毎日活けて下さる美しい花たちが、優しくもてなしてくれます。 ここの通りにある「潮待ち館」のかき氷は絶対食べてください。おいしいです。 冬は、ミカンの生ジュースがおいしいです!! - 常盤通りからのつづき
なんでも(?!)直してくれる有名な時計屋さんや、乙女座、御手洗昭和館、鍋焼きうどんのお店(尾収屋) などが並ぶ通りです。常盤通りにはちょっと負けますが、きれいな町並みです。 突き当りに、七卿落遺跡と、元薩摩藩船宿がありますので、まっすぐどうぞ! -
若胡子屋跡
御手洗で営業されていた茶屋(遊郭)のひとつ。 奥座敷の天井は屋久杉が使われていて、贅沢な造りになっています。 現在は耐震補強により、建物の中に柱が乱立しますが、当時の雰囲気はなんとなく味わえます。 語り継げられる「おはぐろ事件」がちょっとこわい。 - 七卿落遺跡
江戸時代に町年寄、庄屋を歴任した有力商家「竹原屋」の邸宅です。 1863年の幕末の政変に敗れて京都から長州に落ちのびた公卿が、立ち寄って宿泊したというお屋敷です。 現在は修理中で中に入れません。。(残念ながら) ちなみに、鞆の浦にも七卿落遺跡と呼ばれる建物があります。七卿さんたち、いろんなところにお世話になったようです。 - 住吉神社
江戸時代に千波子波止が作られて、新しい町(住吉町)が出来たため、氏神様として建てられた神社です。 大阪の住吉神社を写したもので、建築物としても価値が高いそうです。 7月末と、11月初めのお祭りのときには、提灯に灯がともってきれいです。 - 満舟寺の石垣
石垣がいつ作られたかは、はっきりした記録がないのですが、 1700年代に境内へ上がる石段が作られていることから、1700年代のものではないかと考えられています。 ここを見上げたアングルは、絵になる風景のひとつです。 石垣の下に、通学路の標識があります。足の長い小学生が描かれていて、「文」の形になってます。 - 船宿(三軒長屋)
建築年代は19世紀中ごろと考えられる三軒長屋です。 真ん中に位置する木村家が、屋号を「若本屋」と言って、宇和島藩、大洲藩の貿易担当お侍さん用の船宿でした。 現在は船宿カフェ「若長」で、二階から四国を眺めながら、ぜんざいを食べるのが一押し! - 恵美須神社
夕陽がきれい!
海に向かって立っている鳥居の下で、愛を叫ぶと、成就するそうです!(笑) 愛が成就しなくても、ここからの夕陽は絶景です!! 18世紀に建てられた神社で、御手洗の商いの神様です。 東側の海岸には、石積みの雁木(がんぎ)が残っています。ここから海を覗くといっぱい小魚がいます。 境内には、撫でると若返るという「若返りの石」があります。ぜひ撫でてください! - 旧柴屋
大長村の庄屋役や、御手洗の町年寄役を代々務めていた高橋家(屋号は柴屋)の別宅になります。
19世紀の初め、伊能忠敬が泊まったとされていることから、その頃建てられたものではないかと考えられています。
NHKのドラマで使われたり、「ももへの手紙」で妖怪が住み着く家のモデルになったりと、かなり有名な建物です。
奥の間に、伊能忠敬の御手洗測量の図(市有形文化財)のレプリカが展示されています。 - 北川邸
屋号は「北仁(きたに)」。酒問屋を営まれていました。 御手洗港側にある「離れ座敷」は八畳二室と茶室から成る数寄屋造りで、 浄土真宗木辺派・錦織寺(きんしょくじ)の二十代門主 木辺孝慈(きべこうじ) が大正2年に北仁家に来られることになり、おもてなしをするために建設されたそうです。 記録によると、 夜は大松をたいて護衛し、廊下には緋氈繊(ひもうせん)を敷き、町人は頭を伏して御法主様をお迎えしたということです。
毎年、アートイベント潮祭の期間(5月3~5日)は、一般公開されています。 - 八重垣邸
恵美須神社の鳥居のすぐ横の大きな邸宅(個人宅)。
平成3年の台風19号では、離れが流され、現在は、本宅と大きな庭があります。
海にせり出した家の中から見る海は絶景だそうです。
GWの潮祭shio-saiでのアート展示は、ご主人と奥様のご厚意により、実現しました。
- 藤林邸
大正の終わりから昭和の初めにかけての時代に建てられた洋館。
最近まで、藤林歯科として、御手洗の人たちから親しまれた建物です。
外壁のピンク色が、御手洗の建物の中では目を引きます。
現在は、広島市立大学芸術学部の学生たちが、作品を作ったり展示したりできるスペースに改装中です。 - みたらいギャラリー
必ず寄ってね!
築40年の昭和住宅をDIYで改装したギャラリー。 田中佐知男の絵をはじめとする、広島、呉の絵画や陶芸の作家作品を展示販売しています。 新しい御手洗の名所(になる予定)。 -
ArtLabKITANI アートラボキタニ 新名所
酒屋を営んでいた「北川家」の蔵を使ったアートスペース。普段は、田原正幸(たるます)の作品を飾っています。 ここに、映像とか、インスタレーションとか、展示してくれる学生さん、プロの方を常時募集中です! こちらもみたらいギャラリーと同じく、新しい御手洗の名所(になる予定)。 - 御手洗昭和館
二階建ての古風な建物に、オロナミンCの懐かしい看板。 建物の中には、ところ狭しと、昭和のおもちゃが並びます。 筆者の世代ドンピシャのマジンガーZもまるで芸術作品のように展示されています。 入場料300円ですが、必見です! - 脇屋と越智医院
右側が、元薩摩藩船宿 脇屋、右側が元越智医院 現在はゲストハウスKusushiです。 オランジーナのCMで小峠がおまわりさんになって立っていたところがここ。 薩摩藩船宿は、江戸末期に大久保利通も立ち寄ったといわれています。 薩摩藩は、ここ御手洗で、綿や鉄砲の貿易を、幕府に隠れて行なっていたとされています。 - 千砂子波止からの眺め
穴場!
千砂子波止の先端から、御手洗の町を眺めた風景は、江戸時代、北前船に乗って長い旅の途中、 御手洗に寄港したときの人々の気持ちに浸れる絶好の場所です。 波止に腰掛けて、歴史を感じながら、今の時間をゆっくり感じてみてください。 冬はちょっと寒いかもしれない・・・(笑) - 鞆田邸洋館
開いてたらラッキー!
お座敷から海がみえます!ここからの眺めは必見!特に二階からは四国まで見渡せる絶景です。 普段は、中は見れないのですが、時々イベントをやっていて、一般の方も入れる時があります。 二階建ての洋館で、大正から昭和にかけては、迎賓館のような役割を担ってきました。 一階の天井には屋久杉が使ってあり、「赤い靴」の作詞で有名な野口雨情も長期滞在したお屋敷です。 野口雨情は、ここから見える四国の山々を歌に残し、滞在のお礼に、その歌を直筆で書にしています。 後にこれを掛け軸にして、現在は、二階の床の間に飾ってあります。 この歌詞は、「御手洗音頭」として、御手洗の人々に愛され、町のイベントでは歌と踊りで披露されます。 - 小すだれに一輪挿し
みどころ!
御手洗の女性たちのグループ「さくら会」のメンバーが、家の玄関や軒先に花を飾っています。 町内40箇所を皆さんで分担して毎朝かかさず飾っていらっしゃいます。 町を彩る花は、御手洗の町内にある花壇で、種から育てられています。 草取りやら、肥料やら、病気にならないように管理されていて、とてもすばらしいです! 毎日大変だと思いますが、さりげなく飾ってあり、「おもてなしの心」を感じます!